「おはよう!」爽やかな朝!そして毎日すくすくと育つハーブ。ありがたいことです!
新型コロナウイルスで次々と封鎖される都市。今、私が思うことは…
私が幼児期、まだ戦争の傷跡が残っていました。休日、家族でデパートに行くと手や足のない兵隊さんが数人路上でアコーディオンを弾きながら歌を歌っていました。同期の桜です。その痛ましい姿を、今も忘れません。まだご近所には、お風呂や電話がない家がありました。断っておきますがこれは田舎の生活ではありません。私の実家は東京です。さて、お風呂が沸くと赤ちゃんがいる家に「お風呂が沸いたのでどうぞ」と声をかけました。また、電話がかかってくると、「電話です!」とご近所に走って知らせに行きました。当時、ご近所の方の電話がかかってくるということは、重大なことが起きたことを意味していました。だから、全速力で走って伝えに行きました。道路はほとんど舗装されていませんでした。日光のいろは坂が砂利道だった時代です。車はしょっちゅうエンストし、みんなで車を降りて押しました。ガソリンスタンドがないので、ガソリンを積んで走りました。幼い頃、その砂利道のいろは坂を車で登って行った日のことを、今日ふと思い出しました。夜に小さな宿に着きました。翌朝宿を出ようとすると、おかみさんがお弁当を持たせてくれました。「この先どこにもお店はありません。お昼に困るでしょうからこれを持って行ってください」と。塩むすびが笹に包んでありました。山川草木、虫の声など聞きながら私たちは「ありがとうございます」と手を合わせて、その白いご飯だけの昼食をいただきました。あの時、戦争を経験した父と母には、平和な時代に生まれた私に伝えたいことがあったのです『足るを知る』 私たちは今、白いご飯だけの昼食に感謝して手を合わせることができるでしょうか?
私の両親はもう他界してしまいましたが、手を合わせると懐かしい声が聞こえてくるような気がします。「空から爆弾が降ってくるわけじゃない!食料も十分にある!家族がみんな元気でよかったね!」そして『足るを知る』そんな声が…
注)『足るを知る』の語源は老子の『知足者富』→足るを知る者は富む。『富む』とはお金持ちになるという意味ではなく『幸せになる』という意味です。
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